すべてはあの一瞬から始まったのかもしれない…
あれは忘れもしない中2…いや中1だったっけな??(←忘れましゅた しゅみません)
己の右腕の全力を懸けて挑んだ腕相撲をした時のことです。
当時、腕力の最弱王なら右に出る者がいないほどの弱さだったのですが突如と始まった腕相撲大会に巻き込まれまして、負けると分かっていながらも参戦することになったんです。(えぇ。最弱ですからねぇ)
相手は言い出しっぺの力自慢。。。
『勝てるわけないだろ…』と思いながらも、その場の空気からは抜け出すことが出来ず、レディーファイトすることになりました。
結果は予想通りの惨敗となったのですが、敗戦後に右肘に違和感を感じた気がしました。
この中学の1~2年という成長期も関係していたのかもしれません。この時期に発症しやすいと言われている野球ヒジとやらになってしまったようです。球を力いっぱい投げようとするとズキーンと痛みを発するようになってしまいました。
この時点で病院で診てもらっていればよかったものの、なんてったって大の病院嫌いでして
『しばらく安静にしていれば治るだろう…』
と信じていました。ところが一向に良くなる事はなく、常に右肘の違和感を持ちながらのプレーをすることとなりました。
それでも野球が好きだった。。。
というか野球しかなかった。
高校でも迷うことなく野球の道へと進みました。
軟式ボールから少し重い硬球へと変わり、余計に肘や肩への負担が増えるようになることに。途中、怪我などもあったりして『マネージャーとなりチームを支えようかな?』とも考えましたが、最後まで選手として続けることが出来ました。
この頃には肘が正常に曲がらないようにまでなっていました。
高校を卒業し、就職した会社の上司の紹介から草野球チームへと所属。その後は高校の同級生のみんなで作ったチームでプレー。チーム解散を機に野球を辞めて4年ほどが経ち現在に至る。
今の酷使した右肘では思い通りのボールを投げらない為、
『もう野球をやることはないだろう』
と、次第に野球への情熱みたいなものがなくなっていきました。それと、いいボールを投げられないのを全て"肘のせい"にしてきた自分が嫌だったのです。
チーム解散後はバッティングセンターはおろか、ボールにも触らない日々が過ぎました。
ある日、大きく育ってきたうちの子どもたちが『公園に行きたい』と言うので久しぶりに体を動かしてみることに。サッカーボールやグローブなどのスポーツ用品を詰め込んでお出かけしました。
そこで、久しぶりにボールを投げたんです。
肘の痛みはほとんどありませんでしたが相変わらずのシュート回転で伸びのない球筋でした。
今度は息子にバッターをしてもらい、打ってもらうことに。
お遊び半分で何気な~く緩~いボールを投げた時です…
あっ!右がダメなら左があるやん・・・
まだ左ヒジが残ってるやん?!
右でないといけないと決めつけてしまっていたんですね。単純なことに気付いていなかった。
この日を境にぎこちないサウスポースタイルで投げるようになりました。力の入れどころがまだ掴めていないのでスピードもコントロールも悪いのですが、シュッとしたボールを投げられるんです。左なら。
今では野球を上手くなりたいという童心が帰ってきたような気分です。目標はまともにキャッチボール出来るようになりたいのと、いつの日かサウスポーで試合に出ること(欲を言えばピッチャー)
ふと思い出したことがある。
中2の学年文集でみんなが若き日の自分にメッセージを書いてくれていたではないか。
"ずっと野球を続けてね"って。
まだまだ野球人は終わらない。
終わらせてはいけないんだなぁ