『IWABLO』

どんっ!と構える岩のように

後悔のない人生を航海するために僕は公開する。

僕は今、人生という大海原を航海しているが行先はまだ見えぬままだ。

 

360度自分次第で自由に舵をきれるというのに、ゴールの港を思い描くことができないままでいる。

 

10年先のこと…いやもっと先には、こうしたいという明確な目標がないのだ。

 

小さい時からも同じだった。

本気で大人になったらこうなりたい!絶対になるんだ!なんて考えたこともなかった。

 

小学生から中学生になり、まわりの皆は良い高校に入るためか勉強を必死にやっていた。

僕はというと、何の為に勉強しなきゃいけないのか?という疑問を抱えながら、勉強しているフリをしていた。

 

授業も真面目に受けてノートもしっかりと書いていた。 だが、気持ちが入っていない為何も頭には残りはしなかった。

ただやらされていただけなのだ。

 

当然テストの成績も良いはずがなく、結局はお金さえ払えば入れるような高校へしか進学の道はなかった。

親が高校ぐらいは出ておいた方が良い、と言ってくれたので少し安心していた。

が、私立の授業料は馬鹿にならない程高く、尚且つ僕は3人兄弟の真ん中だったので、まだ弟がいることもあり、 志望校を決める時に親父が激怒していたのを見てしまった時に、勉強してなかったことを本気で後悔した。

その時に気付いては遅かったんだけどね。

 

自分が親になってはじめて、親の苦労を体験することが頻繁にある。

我が家は女の子と男の子だが、自分は男3兄弟だったので相当苦労してきただろうな~って思う。 特におっ母は女1人で1番苦労してきているはずだ。  両親には感謝しきれない思いです。  生きているうちにできるだけ恩返しできればなと思う。 幸いすぐ近くに住んでいるし。

 

両親のおかげで入れた高校では、野球漬けの3年間を過ごした。野球やるにも費用がかなりかかるけどね…   ほんと感謝。

 

奥手な為、甘酸っぱい青春の1ページなんてなかった。

 

この高校での3年間というものは、自分にとってはかなり得るものがあった日々でした。

厳しい上下関係や規則に縛られる、地獄のような日々ではあったがその経験がなければ、ちょっとの事では屈しない忍耐力を培うことはなかったと思う。

練習も辛かったが、楽しかった思い出も沢山ある。  

ただ自殺という形で仲間を1人失ったことはチームメイトの誰1人忘れることはない。

訃報を聞いて、練習後夜遅かったが仲間全員で必死に自転車漕いで彼に会いに行ったことも一生忘れることはないだろう。

 

彼も苦しい日々を共に歩んだ大事な仲間だからね。 彼の分まで頑張らねば。

 

この厳しかった野球部の顧問から頂いた教えは、このブログのサブタイトルにも引用されている程、頭に残っている。


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人生の目標を明確にして必ず達成しろ。ということだろう。

この顧問の先生はグランドに来ると鬼のような人だったが、就職先で困っていた時はなにかと助けて頂いた。

 

運動部ばかりを集めたクラスだったが、僕が学業も頑張っていたことを認めてくれていたからだ。

 

結果的には、大企業就職へのチャンスを頂いたのにも関わらず、精神的な弱さから面接不合格となった。

ここ1番で自分らしさが出てしまったが、後悔はしていない。

その後、顧問の先生のおかげで就職することもできなんとかフリーターにならずに済んだ。ほんと感謝。

 

もしその大企業に入っていたなら、寮住まいになっていたので親との関わりも少なくなっていただろうし、嫁さんとも知り合っていなかっただろう。 当然2人の宝も誕生していないことになる。

 

そう…僕はもう1人ではないんだ。

 

この船にはもう僕以外に3人が乗船し、同じ旅をしているのだ。

 

自分自身の未来など正直どうでもよい。

が、家族の未来を暗くするわけにはいかない。

 

その為には自分が犠牲になってでももがいて、もがき続けるしかない!

 

改めてそう誓った15日の夜だった。

 

書き記すことにより、今日の決心を忘れず航海していきたいと思う。