『IWABLO』

どんっ!と構える岩のように

髪型がコンプレックスだったあの頃


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こんにちは。たまには10時間ぐらい寝てしまってもいいですよね?日曜日だもの…  byみつを。

さて今回は髪型についての思い出を書いてみたいと思います。髪型ってその人の第一印象が決まってしまったりしますよね~。男だからといって長髪にしてはいけないなんてルールもありませんし、女だからといってスキンヘッドにしても誰も文句は言えないはずです。ただキムタクみたいなロン毛なら女の子もキャーキャーものなんですけど、汚ならしい中年男が艶っぽい髪を靡かせているのは違う意味のキャーキャー!ですね。

それくらい人によって見た目の印象は違うと思うんです。どうせなら印象悪いスタートよりも印象良いロケットスタートといきたいものです。

現状の僕の髪は、小学校低学年の頃から発見されていた白髪があちらこちらに散らついているのが気になるぐらいなのですが、小学生の頃は髪型にとてつもなくコンプレックスを感じていたんです。なぜかといいますと

 

母のカットが上手とは言えないものだった・・・

からなんです。平凡一直線な家庭環境でしたので床屋に連れていってもらうことはありませんでした。そして兄弟も同じ運命でしたので誰も文句は言わないし、父もセルフカットをしてましたのでみんな納得していました。

それでも高学年ぐらいになってくると思春期が来たせいなのか周りの目を気にして、恥ずかしい気持ちが芽生えはじめました。

『おっ!髪切った?』

『○○(床屋の名前)で切ったよ♪』

そんな会話を聞く度に、床屋行ってみたいなぁ…と思う日々でした。

母カットの1番のポイントとも言える部分はこんな感じでした。

 


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も…もみあげが見当たりませんー!!!(笑っ)

そうなんです。もみあげ一直線がとてもコンプレックスでした。身長よりももみあげが早く伸びないかと祈る思いでした。もしドラゴンボールを7つ集めることができたのなら

『どうかもみあげを伸ばしてくださいシェンロン様』と迷うことなく答えたでしょうね。

あとは前髪をどうやって切ったのか?M字みたいになってしまってる時があって、ドラゴンボールのベジータと影で喩えられていたときはとても切なかったです。

なのでベジータはあまり好きではありませんでしたし悪役のフリーザの方が好きでした。

悲運な小学生時代に別れを告げ、晴れて床屋デビューとなりました。すると散々な今までから一転、ハッピーライフタマホーム的な展開が待っていました。知ってか知らずか父が床屋代として2000円を渡してくれるようになったんです。今では当たり前のように1000円カットとか安い料金でカットしてくれる床屋さんがありますが、当時でも安いチェーン店がありました。小人1200円だったかなぁ?

シャンプー代は500円かな?お釣りがそのままお小遣いとしてもらえたのでいつもシャンプーなしでした(笑っ)  そのお釣りを持ってお隣のゲームソフト屋に行ったり近くのデパートに行ったりするという楽しみ方をしていました。  

それから時が経って自分も家庭を持ち妻が息子の髪を切ったりしていると、そういった昔抱いていたコンプレックスを思い出したりします。

たしかにもみあげが一直線だったのは恥ずかしかったし、少しでも家計の節約になるのであればと子どもながらに思っていたのですが、今振り返ってみるとバリカンで失敗した『あちゃー』だとかハサミで切りすぎた『ざっくり』だとか、上手くいかなかったときにしかない笑いや親とのやり取りなんかが懐かしく感じます。髪を切る母をみんなで見ていたりした家族団欒の時間がそこにあったんです。母の腕が悪かったわけではなかったんです。

そして現在はセルフカットに至りました。

髪を自分で切るのってほんとに難しいですよね。変わった髪型が個性と認識される世の中でよかったと実感しています。

それではまた。