『IWABLO』

石のように舞い岩のように挿すのが理想

コロッケと向き合った日々。


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これは高校時代の話である。

中学から高校に上がり小学から9年間続いた給食とサヨナラをすることになった。揚げパンやらソフト麺やら牛乳瓶のフタが取れず思わず机に白液を撒き散らすなどの思い出すだけでヨダレがナイアガラになってしまうエピソードが尽きないのだが、それと同時に新たなランチタイムの始まりでもあった。

お昼ご飯は持参もしくは売店で購入もしくは食わず。

ウチの場合は母がお弁当を作ってくれることになり足りない場合は売店で買うようにと父が夏目漱石を握らせてくれた。部活動もするようになったのでほぼ毎日母の作るお弁当が昼のお供であった。

新しいランチタイムが始まり少し経った頃に1つの違和感に気付いた。お弁当箱は2段式で下段にはご飯(ゆかり)。上段にはおかずという配置。上段のフタを開けると座布団の如く敷かれたレタスの上に真っ二つのコロッケが4切れ。残りの隙間に卵焼きを詰めるスタイル。

一見何の違和感なんてない普通のお弁当ではないか?と思うかもしれない。だが来る日も来る日もフタを開ければ同じメンツとなれば話は違う。

メンチではない、同じコロッケ。

 

『コロッケ。』

翌日『コロッケ。。』

1年後『コロッケ。。。。。』

 

さすがに毎日ではなかったが6割ぐらいコロッケだった気がします。正真コロッケを見たくないと思ってしまったときもあった。でも私は母に何も言わなかった。

いや、言わなくてよかったなと思う。

 

大人になり当時の両親と同じ世代となることで分かることが多々ある。生活するための日々の仕事に追われ夕方もしくは残業して夜に帰宅する。そこから料理、洗濯、家事などをこなさなければいけない。子どもがいれば育児も加わりやる事満載だ。

ここに新たに弁当作りが加わる。

よく夏休みなどに子どもが家に居ると給食がないから大変という話を聞く。きっとめちゃくちゃ大変だったんだろうな。

文句ではなく言うべきことは感謝の言葉だよね。

毎日お弁当準備するのってとても大変なこと。別に今の自分が毎日お弁当を準備しているワケではないのだが自然と理解出来る年齢になったのだ。

好き嫌いはあるけれど親がお弁当を作ってくれることってあたりまえではないんだよ。

当時は上手く向き合えなかったコロッケだが、今は嫌いどころか割と好きなほうである。

コロッケを見るとどうしても当時のことを思い出してしまうのは仕方ないのかもしれないね。