時代の進化が止まる気配がない。
いつしか自動車は自分の手足で操る物ではなく乗り込むだけで目的地まで連れて行ってしまう時代が来る。エンジンは電力を帯び、ガス臭さや爆音のないクリヤな世界が待っている。
そもそもなぜ時代は進化し続けるのか?
不便をなくし便利で住み良い未来でありたいという人の欲望がそこにあるのは間違いないことだ。
部屋の掃除はアッコではなくルンバにおまかせ。
家政婦のミタさんの代わりにペッパーくん。
困ったことがあれば機体に向かってヘイ!シリィ〜、ハーイアレクサ、オッケーグーグル。
実にやりたい放題である。
思えば家から出なくても欲しい物を手に出来てしまう何十年前ならば異常な時代が当たり前になってしまったものだ。小銭をチャリンとさせる機会も減り、お金がないのにも関わらずカードやスマホ決済で気軽にペイってね。ペイのペイのペイ。
月末がここまで恐ろしいものかと。
ろくに勉強もせず友達の家の電話番号を記憶する。または生徒手帳に鉛筆でメモる。今ではスマホに記憶させるのでもはや自分の番号すらあやふやな時がある。郵便番号なんて毎回あたふた。それがSNSアカウントで登録すればもはや電話番号すら存在感のない事態。テレホンカード?なにそれ?な時代。
便利ではあるが本末転倒な気もしてくる。
流行りについていかなければ取り残され、息苦しくなる。新聞でテレビの番組表にチェックを入れて時間になったらテレビの前に全員集合。時にチャンネル争いで紛争勃発。観れないときにはビデオ録画。大事なところを消さないように上書き録画。残量も気にしないと録画出来てない。もはや死後のGコード。
大変だ。でもそれが楽しかった。
世の中の娯楽の全てをスマートフォンが奪っていったのかもしれない。
一転話が変わるが私の主食は職場の弁当と言っても過言ではない。一日一食弁当のおかげでバランスのよい食事を摂取させていただいている。
急に何を言い出したのかと思うかもしれないが、ちゃんと話は繋がっているのでご安心を。時代は進化し続けているが変わらないことがそこにあったのだ。
弁当のご飯
である。日によって仕上がりが違うのである。
ときには「これは白飯ではなくお粥ではないか?」と思わずにはいられない日もある。べっちゃべちゃ。
おそらく市内の企業を転々と回っているそれなりの規模の弁当屋さんであろう。一度に数十から数百人分のご飯を業務用の炊飯器で何台かで炊くと推測。
炊飯時間、水量は同じでもお米の状態やその日の気温や湿度や季節やらと微微たる誤差が発生してしまうのであろう。硬めの日もあれば軟かい日もあって当然。
明らかな失敗作を提供するのはプロとしていかがなものか?という部分は置いといて、私はこういったいくら時代が進化しようとも完璧とはいかない部分があってもいいのではないか?と思うしそこが素敵だと感じている。
日によって食べたい硬さ気分も違うしちょうどいいのではないか。
人って失敗するのが取り柄の生き物じゃないですか。
機械って正確すぎるし日々進化し続けてるじゃないですか。
この先どんな未来が待っているのか。。
べちゃついたご飯を食しながらそう感じたとある日の昼下りであった。