これまでに"一生のお願い"と目を閉じ掌を合わせて神頼みしたことが多々ある。
20代、ただがむしゃらに働き続け気づけばストレスを抱え胃が痛むようになった。
病院嫌いな私はちょっとしたことぐらいで診てもらうことはせず、次第に痛みを発し明らかな自覚症状を感じるまでになった。
早期発見が大事な大病では間違いなく手遅れで命を落とすタイプなのである。
日常生活に支障が出るところまで来て死を意識し始めたときに例の言葉
『一生のお願いです。もう少し生きたいです』
と祈った。ただの胃潰瘍だった。
高校生活もほぼ終わりの就活のとき。
いい企業に入るために部活と勉に励んだ努力が実り大企業への面接権利を獲得した。
地元から離れて寮暮らしとなるが新たなスタートに相応しいと思い志願。1人で電車を乗り継ぎバスで向かった。高層ビルをするすると上がるエレベーター。
もともと人見知りの性格であるので単身大企業と戦をするのにはたかが思春期の高校生でば荷が重く、やること全てが緊張だらけであった。
心臓が喉を越えてピッコロになるとこだった。
面接後、帰路に着き犬の散歩をしてるときに例の言葉をつぶやいた。
『神様一生のお願いです。合格しなかったら自分がどうなってしまうかわかりません』
落ちました。面接者の大半が受かった中 落ちました。
以後、高校に求人は来ていないようです。すまん後輩。
大丈夫 ちゃんと生きてます。
何とか地元の中小企業に拾っていただいて4年ぐらい経ったときだった。
少し気になる女性が会社に入った。年齢は同世代だろうか。気になっていたが部署が違うために接する機会がなく、さり気なく視線を送るぐらいしか出来なかった。
そもそも積極的に声がけするコミュ力は持ち合わせていない。ただ日は過ぎていった。
『何とかして仲良くなれないかな。神様一生のお願いです!』
祈りは通じた。
とある手紙が私のもとに届いたのである。
それからメールで交流を深め恋愛関係となった。
でも、別れた。フラれた。
私は思う。一生のお願いは一生に一度だけするものであり乱用してはいけないことであると。
世界は依然として暗い。
もう何の希望もなくこの世界から逃げる方が多い世代となってしまったが、夢を持つことで前向きに生きることを忘れてはいない。
そして未だに"一生のお願い"にすがりつきたいときもあるがもう十分に叶えていただいたし、今こうして健康に暮らせていることに感謝する日々。
お願いしたところで叶えてはくれないだろう。
自分の手で、自分の力で掴むだけだ。
まだ見ぬ未来はきっと明るい